大阪家庭裁判所 平成5年(少ロ)2003号 決定 1993年4月20日
少年 G・S(昭和48.10.16生)
主文
本人に対し、金8万1000円を交付する。
理由
1 補償の要件
当裁判所は、平成5年3月31日、本人に対する平成4年少第34622号道路交通法違反保護事件において、送致事実(普通乗用自動車の無免許運転・共同危険行為)が認められないことを理由として、本人を保護処分に付さない旨の決定をした。
同事件の記録によれば、本人は、上記送致事実と同一の被疑事実に基づき平成4年6月16日逮捕され、引き続き同月17日勾留され、同月26日上記保護事件が神戸家庭裁判所に送致されるとともに観護措置決定を受けて少年鑑別所に収容され、その後当裁判所に移送された後である同年7月20日上記観護措置決定が取り消され、少年鑑別所から退所したものであり、その身柄拘束の日数は、合計35日間であることが認められる。
また、本件は、少年の保護事件に係る補償に関する法律(以下「法」という。)3条各号の「補償しないことができる場合」には当たらない。
したがって、法2条1項により、上記身柄拘束日数35日について、補償をするべきである。
2 補償の内容
上記保護事件の記録によれば
(1) 本人は、上記身柄拘束期間中、ビル清掃工としての仕事はまったくできなかったが、その期間中の給料相当額(月収約15万円相当)は雇用主から全額支給されているので財産的な損害はない。
(2) 上記送致事実の捜査及び本人の対応について
本人は、平成4年6月16日に逮捕された際には上記の送致事実を否認していたが、同月21日にはこれを自白し、その後は自白を維持し続け、観護措置決定がなされた際も自白していたが、同年7月7日になって調査官に対して自白を撤回して否認し、その後は否認の主張を維持するという経過をたどっている。
ところで、本人の兄Aは、本人が上記送致事実の犯人として逮捕された約一週間後に警察の取調べをうけた際に、本人は送致事実の違反をしていないのであって、運転していたのはAである旨主張したが、警察はその主張を無視してAの供述調書を作成していないし、Aの主張に基づいて本人に不利益な供述をしている共犯者の供述を弾劾することもしなかった。そのため本人は逮捕当時は否認していたのに虚偽の自白をするに至ったものである。
他方、本人の保護者は、本人が逮捕された後、Aから本人は上記の違反行為をしておらず、単にAが運転する普通乗用自動車に同乗していたにすぎないと聞いたことから弁護人を選任した。
弁護人は同年6月19日に本人に接見したが、本人はその後の同月21日に自白し、その後弁護人は本人に接見するたびに捜査官に事実を述べるように説得したが、本人は自白を維持した。観護措置決定を受けた後に附添人が面会して説得したときも同様であり、本人は同年7月7日になってやっと自白を撤回した。
本人は否認から自白に転じたとき、捜査官に対して、自白が真実であるとして、否認していた理由と自自に転じた理由について詳細な虚偽の説明をしている。しかるに弁護人に対しては、当初から真実は送致事実の違反行為はしていないと述べながら、他方において自白をし、自白を維持していくと述べていたものであるが、その理由についての説明の内容は一貫したものではなかった。
また、本人は、調査・審判においても、自白をし自白を維持した理由について説明しているが、その内容は必ずしもは一貫したものではないうえ、当初弁護人に対してしていた説明から、徐々に内容が膨らんで行き、最後にその全体を包括して形を整えたものになっている。
その他、本人は送致事実に関して、仲間と口裏合わせをした旨述べているが、その内容が前後一貫していないし、共犯者とされた仲間の供述とも一致していない。
以上によれば、まず捜査機関の捜査の方法については、Aの主張を慎重に吟味しないで、本人の自白を追究した点に過失があるというべきであるが、他方、本人が身柄を拘束されてからとった態度は、兄が本人の立場を守ろうとし弁護人も真実を主張するように説得したのに、これに従わないで虚偽の自白をし、かつそれを長期間維持していたものであり、また自白をしそれを維持した理由についての説明等にも、一貫性に欠けていたため、当裁判所としては本人の否認の主張が真実のものであるのかについて、早期に心証をとることが困難であったこともあって身柄拘束が長引いたということができる。
(3) 補償の金額は、以上の事実に、上記記録によって認められる本人の年齢、生活状況等諸般の事情を併せ考慮すると、本人に対しては逮捕勾留期間中は1日3000円、観護措置の期間中は1日2000円の割合による補償をするのが相当である。
3 よって、本人に対し、補償の対象となる全期間につき、上記各割合による補償金合計8万1000円を交付することとし、法5条1項により主文のとおり決定する。
(裁判官 加島義正)
〔参考〕 保護事件決定(大阪家 平4(少)34622号道路交通法違反保護事件 平5.3.31決定)
主文
少年を保護処分に付さない。
理由
第1
1 (送致事実の要旨)
本件記録中の司法警察員作成の少年事件送致書記載の犯罪事実のとおりであるが、要するに、少年が本件普通乗用自動車(○○、以下少年車という)を無免許運転し、共同危険行為を行ったというものである。
2 (少年の主張)
少年車を運転していたのは実兄のAであって少年ではなく、また共同危険行為については、単車の暴走集団と共同実行をしておらず、共謀もしていないというものである。
第2
1 序論
送致記録によると、少年は自白し、その補強証拠として共犯者仲間の多数の供述があるので、一見非行事実が認められるようである。
しかし、審判において、少年は否認し、兄のAは、少年は運転しておらず自己が運転していたのであり、暴走にも加わっていないと証言し、共犯者仲間の少年も、捜査段階の供述を否定して、Aが運転していたあるいは少年が運転していたか分からない、少年車が暴走に参加していたとは思わないと供述するにいたっている。
そして、このように共犯者がすべて審判で供述を変更している事案においては、捜査段階の供述の信用性の判断は慎重になされなければならない。
なお、捜査段階におけるAの供述調書はない。もしAの供述調書が作成され、その供述に基づいて共犯者仲間や少年の供述の信用性がテストされていたならば、真実の発見が早期に確実になされたものと思われる。
また、本件の暴走は単車集団が先行し、その後方から少年車が追従するという形であるので、共同性の認定は慎重になされなければならない。
そこで、まず、少年と共犯者仲間の供述を除いたその余の証拠で送致事実が認定できるかを検討し、次に、少年と共犯者仲間の供述証拠について、供述調書の内容と審判における各証言を対比検討して、どちらが信用できるかを明らかにして結論を出すことにする。
2 少年と共犯者仲間の供述を除いたその余の証拠について
(1) 現認警察官の現認内容について
本件の送致事実によれば、暴走行為をしたとされた日時場所は、同日午前3時36分ころから3時41分ころまでの間、場所は甲交差点から乙交差点を経て阪神高速丙入口付近までである。
そして現認の内容は、本件発生当日の午前3時38分ころ、まず阪神高速丙出口付近で暴走中の単車10台を現認し、その後同3時39分ころ、同所の西方の乙交差点から200メートル東の地点で後方から、暴走集団の暴走行為を現認し、その後、西宮市○○町の丁交差点手前で、その後方から暴走中の自動2輪車10台、乗用車3台を確認して覆面パトカーのカメラで撮影し、その中に少年車もあった、なお一般車の進行を幅寄せをして妨害していたのは単車であった、その後同3時44分ころ、単車集団は丁交差点の赤信号を無視して転回したが、乗用車の暴走族集団は赤信号にしたがって停止した、というのである。そこで検討するに、前記現認の内容からは、乗用車3台が暴走していたと認定した理由が明らかにされていないし、もとより送致事実の範囲内における少年車の具体的行動や運転者が誰であったかについても明らかでない。少年車の現認写真については、それは丁交差点付近のものであり、送致事実の範囲の暴走が終了した後の時点のものであるうえ、その写真を見ても少年車は道路を真っすぐ進行している状況であり、また単車集団との関係も不明である。そして乗用車は一般車の走行の妨害はしておらず、丁交差点においては赤信号で停止していて、単車集団の転回に追従していないというのであるから、少年車が単車集団の比較的近い後方を走行していたことは窺われるにしても、右の現認状況から少年車が単車集団と暴走行為を共同実行をしていたと一義的に認めることはできない。
(2) 被妨害車の運転者の供述内容について
被妨害車らは一般車集団の最後部付近を走行していたものであるところ、前方に単車集団が暴走していたことは分かったが、前方の「乗用車」の中に、その単車集団と行動を共にしていたものがあるかどうかは分からないというのであるから、被妨害車の供述からも少年車が暴走に加わっていたと認めることはできない。
(3) 争いのない事実の評価について
少年車には暴走族「ア」のメンバーと交際のあるBが同乗していたこと、少年車は出発後、始めは暴走族の単車集団について走行し、その後単車集団とはぐれた後も単車集団を探して走行し、本件現場付近では単車集団の後方の比較的近いところを走行していたこと、少年車の中に暴走している単車集団の構成員の私服を乗せていたこと、少年は単車集団に単車を貸してやり、その単車が本件暴走に使われ、少年も手伝ってその単車から抜いた消音器の芯を少年車に乗せていたこと、少年車は、単車集団の暴走終了後、単車集団の中にいた、Cや弟のDから電話で呼び出しを受けて同人らのいる所に行き、同人らが着替えた特攻服を預かり、少年車に同乗していた少年の兄のAが、後日それを知人に預けたりした事実が明らかに認められるので、本件の暴走について少年と単車集団との間に共謀がなされていたのではないかと疑われるのであるが、Bの行動の意味については多様の解釈ができるし、少年車の追従の仕方は、全体的に見ると必ずしも単車集団と一体的であるとはいえないこと、またその余の点も単なる幇助的行為にすぎない場合もあるから、以上の事実だけから一義的に共謀の成立を認めることは困難である。
3 Aの証言内容について
(証言内容)
Aは少年及びDの長兄であり、3人とも同一の職場で働いている。同人は本件当時既に21歳であって、中学卒業以来、現在の勤め先(カーペットクリーニング)でまじめに働き、非行歴はなく、暴走に関係したことは全くなかった。普通免許を取得し、本件の少年車を所有している。同車はスポーツタイプの2ドアーで後部座席の窓は開かない構造になっている。
本件当夜少年から迎えに来てはしいとの電話が入ったため、Aは少年車を運転して市営△△住宅まで行った、翌日の仕事が忙しかったので兄弟3人揃って仕事に出たかった、Dは家に帰って来ないことがあるので連れて帰りたかった、市営住宅でDの暴走の終了を待っていてもいつ終わるか分からないので、確実にDを連れ帰るためには、Dの単車の後について行った方がよいと考えて暴走単車について行くことにした、そこでAは少年とBを乗せ少年車を運転して発進し、暴走単車の後について行こうとしたが、信号や制限速度等を守り前の車の流れに沿って走行したため、○○までは何とかついて行ったがその後単車集団を見失い、少年車1台で走り○○町まで戻って来たとき一旦は単車を見付けたが、また西灘交差点付近で見失い、その後××号線に出て○×と△○の間で単車2台と出会い、更に本件現場の手前(○△ボウル付近)ではDの単車と並んで走ったことがあり、Dに「帰るぞー」と声をかけている、したがって、その時、単車の後部座席に乗っていた者がAの運転を見ているかもしれない、そして甲交差点から乙交差点までは黒の○○について行った、単車2台が約50メートル前方を走っていた、丁の付近で覆面パトカーに追い越され、旗を積んだ4輪車も走っていた、丁交差点の手前約30メートルの地点で警察官から写真を撮られた、単車集団が丁交差点を転回して行ったのは見ていないが、パトカーが走っていたのでDも暴走を止めるだろうと思い、少年車は前の車について左折して○△ボウルまで戻ったところ、Dらから迎えに来てほしいという電話が入ったので迎えに行き、その後帰宅した。
その後、少年が少年車を運転して暴走行為をしたということで逮捕され、その約一週間後、Aも警察から呼び出されたので、「自分が運転していた」と述べたが「うそをつくな、本当のことをいって気が楽になれ」といって取り合ってもらえず、供述調書も作成されていない、しかし少年とは兄弟であるし、仕事も一緒にしているし、将来少年から兄の罪をかぶったといわれたら後味悪いと思い真実のことを述べている。
(証言の信用性の検討)
Aは、少年とDが逮捕された一週間後の、本件の捜査の行われている段階において自己が運転した旨警察に申告し、更に少年が自白しているのに審判まで一貫して右申告の内容を維持していること、同人は非行歴のないまじめな勤労青年であり、ことさらに虚偽の言動をするような人物とは思われないこと、もし同人が運転したことになれば、共同危険行為の責任を負い、免許取消しとなる危険性が高く、そのような著しい不利益を受けてまで虚偽の申告をすることは通常考えにくいうえ、本件において少年の身代わりになるような動機、事情を見いだすことはできないこと、同人の証言態度はまじめで率直に事実を供述していると認められること、その証言内容は、少年車の運転は同人がしたものであり、暴走もしていないということにつきるが、同人は暴走の経験はもとより、非行歴の一切ないまじめな成人であることからすると、自ら運転して暴走したり、自分も同乗していながら、無免許の少年に自分の車を運転させて暴走することも考えにくいこと、Dを連れ帰るために追尾したという理由についてもあり得ないことではないこと、体験供述性も豊かであること、特に走行したコースについての供述は明確で、しかも少年のその点に関する供述の一部を訂正すらしていること、また、少年車は○△ボウル付近でDの運転する単車と並んだことがあり「帰るぞ」と声をかけたことがあるから、Dの単車の後部座席の同乗車が自分の運転を見ているかもしれない旨の供述をしている点は、捜査記録中の共犯者の供述調書にも全く出ていない新しい事実であるが、Aの後に証言した者(E、C)も、○△ボウル付近で単車が少年車を追い越した旨供述しているうえ、そもそも右のような供述は真実を述べているという自信がなければいえない内容であること、けだし共犯者仲間から少年車の運転者が目撃されているということであるから、虚偽の事実を述べれば露見する危険が大きいからである。いわば不利益をもたらすかもしれない事実を進んで供述したことになるのである。そしてこの点については、後記のとおり、弟Dの方は右の追い越しについて記憶がはっきりしていないと証言しているなど、兄弟間で口裏合わせをした形跡も認められないというべきである。
そうすると、Aの供述の信用性は極めて高いというべきであり、よほど客観的で明白な証拠がない限り、軽軽にその信用性を否定することはできない。
4 共犯者仲間の供述(供述調書、実況見分調書における指示説明、証言を含む)について
(1) 捜査段階においてAの取調べは行われておらず、その供述調書は作成されていない。したがって捜査段階における共犯者の供述は,Aの供述に基づいて弾劾がなされないまま供述調書に作成されたという根本的な弱点がある。共犯者の供述調書の内容は前記Aの証言の存在を考慮して、その信用性について判断されなければならない。
ところで、審判において証言した共犯者は、その全員がAが運転していた、あるいは少年が運転していたかどうかわからない、少年車が暴走に参加していたとは思わないと証言し、この点についての捜査段階の供述調書の内容を否定している。総じていえば、証言の内容は自然でつじつまが合い、他の共犯者の供述とも符合しているうえ、体験供述性が認められるのに対して、捜査段階の供述には不自然、不合理な点があり、取調官が主張を聞いてくれないため、取調べを早く終わりたいと考えて、取調官に迎合したものである疑いが強い。
(2) そこで共犯者ごとに個別に検討することにする。
<1> 同乗者のBについて
取調官に対する供述調書の内容は、「うそをつく必要もなく本当のことを話します。」といって、同人はアの構成員であった、少年が運転し、少年の兄Aは助手席に、自分は後部座席に乗っていた旨及び走行時のことについては、出発前後のことと甲交差点付近から以降の時点についてかなりくわしい供述をしており、一見して不自然不合理な点はないように見受けられる。
しかしながら、その供述はそもそも「Aが運転していたのではないか」という反問を受けたうえで供述したものではないし、その内容も仮に少年とAの立場を入れ換えたとしても不自然になるものではなく、少年が運転していたことを如実に示すような内容ではない。むしろ少年車の走行ぶりについて見るに、極めて円滑な様子が窺われて運転未熟を感じさせる雰囲気はないところ、少年は当時仮免許取得の8日前の状態であって路上運転の経験はしておらず、また、自動車学校の教習台帳によれば、教程の一部やり直しもしており、必ずしも技術が十分であったとはいえないことからすると、少年が運転していたとするには疑問が感じられ、Aが運転していたとする方がより自然である。
次に、少年車が暴走行為をしていたかどうかという点については、走行中、少年が「無茶したらあかん」といって赤信号で止まっていた、途中車を止め暴走単車を見ていたこともあった、本件現場の甲交差点から以降の走行についても、少年車は一般車両の前にいた、覆面パトカーが来て追い越して行き、前方の交差点を転回した単車集団を追って行った、少年車は左折した、という内容であって、全体的に見ると単車集団と一体的な行動をしていないことを窺わせるものである。そうすると同人の供述調書によっても、少年車が暴走行為に参加していたことを認めることは疑問である。
これに対して審判における証言内容は、同人は本件違反当時、「ア」のメンバーと付き合いはあったが構成員でなく本件後に加入した、集合場所は市営住宅であり、○△ボウルには行ってない、少年車は初めから最後まで、Aが運転して少年は助手席にいた、同人が少年車に乗ったのは単車が暴走に出て行った後、Aと少年に会い少年から誘われて乗ったものであり、自分は特攻服をもっておらず着替えてもいない、右足を骨折していたので身動きは不自由であった、少年車の後ろ窓は開かないので窓から顔や体を出したことはなかった、少年車は暴走する単車の後ろをつけておらず暴走する単車と気持ちが一体になったことはない、甲交差点から丁交差点の間で単車は見てない、暴走後にCらから携帯電話で呼び出されたときもAが少年車を運転していた、その後の5月ころ皆が集まったとき、「警察に呼ばれたら、本件当日はDの誕生日で市営住宅の公園で酒を飲んでいたから記憶が十分でなく、くわしいことは分からないということにしよう」とか、「写真を撮られているので警察に呼ばれるかもしれない」という話しはでたが、「少年車のことは知らない」とか、「少年が運転していたことにしよう」という話しはでていない、ただE、Fらと「少年は呼ばれると自分が運転していたというだろうから、僕らもそういおう」という話しはしている、供述調書で少年が運転し、Aが助手席に乗っていて暴走したという内容になったのは、少年の性格がお人好しのためAを庇うであろうと考えていたため、取調官から、「少年が運転していた車に乗っていたであろう」と聞かれたとき、つい「そうです」と答えてしまったからであり、また、「Aが運転していた」というと取調べが長引くことになると考え、取調べが早く終わりたかったので「Aが運転していた」といわなかった、供述調書では甲交点付近で車内でAや少年と会話をしたことになっているが、警察官から「何かしゃべっているだろう」といわれて、警察官の示唆で、「ギャラリイみたいな感じでついて行くだけついて行こう」、「やばいとちがうか、とりあえず曲がろう」等と述べた、というものであるが、内容的に特に不自然不合理な点はなく、体験供述性もあり、前記Aの証言とも符合している。
そうすると右の証言内容は、前記の弱点ないし疑問点のある供述調書の内容より信用性が高いというべきである。
<2> 単車を運転していたDの供述について
実況見分調書によると、事前謀議の場所は△△住宅の駐輪場であるというのであり、供述調書の内容は、Dは少年とAの弟である、暴走に出発する時にちらっと見たとき、少年車の運転席には少年が、Aは助手席、Bは後部席にいた、国道××号線東行車線の×○付近で後ろを見たとき、少年が真剣な目付きで少年車を運転し、Bが後部の窓を開け上半身を車外に出して僕らをじっと見ていた(警察調書)、2・3回振り向くとBが左側の窓から身を乗り出していた、運転席には少年が、助手席にはAが座っているのがはっきり見えた(検察官調書)、甲交差点付近では、少年車は単車集団の後方で、一般車の前方におり、少年がにやにやしながら楽しそうに運転していた、なお、本件暴走が行われることについては、少年に(警察調書)、少年とAに(検察官調書)にあらかじめ話してある、Cが逮捕された後に共犯者仲間と集まり「少年の車は暴走に参加していなかったことにする」旨の話しをしたというのである。
これに対して審判における証言内容は、暴走当夜は市営△△住宅に集合した、少年は離れたところに立っていた、少年車もあったと思うがAの姿は見ていない、Aに会うと連れて帰られるから顔を会わせたくなかった、暴走に出発するとき少年車は見ていない、単車に乗って暴走途中、○○町交差点付近でGの単車が停っているのを見て声をかけながら走っていたとき、対面して進行して来た少年車を見たが、Aが運転していた、助手席、後部座席の者は分からなかった、甲か乙の交差点付近で少年車を後方に見ているが、少年車を追い越したかどうかははっきりしない、そのとき少年車は一般車の先頭にいたが、距離が10メートルあって運転者は分からない、単車の後方から来る四輪車の中に単車の「ケツもち」してくれている車があるとは思わなかった、暴走終了後に少年車に○○に迎えに来てもらったがAの運転であった、家にはA運転の少年車で帰った、少年は単車で帰った、少年車が単車について走ったのは、Aが自分を連れ帰るためであったと思う、というのは、第2日曜日はビルの清掃の仕事が忙しかったからである、なお、警察の取調べのとき、Bの顔が後部座席にちらりと見えたと述べたところ、「身を乗り出した」と書かれた、後ろの窓は開かないから身は乗り出せないといったが、「調書をストップするぞ、早く鑑別所に送られん」といわれた、また「Aが運転した」といったところ、「少年は自白した」といわれた、供述調書では暴走に出発するとき少年車の運転席に少年が、助手席にAがいたとなっているのは、警察が決め付けてしつこいので適当に答えたからである、少年が真剣な表情でとか、楽しそうに運転していたというのも、警察官が運転するときは真剣な顔をするだろうとかいわれ、「そうですね」等と答えたからである、「逮捕されたらAが運転していたことにしよう」という相談はしてない、というものである。
そこで検討して見るのに、供述調書については、Aの供述に基づく弾劾がなされていない供述であるという根本的な弱点があるうえ、Bが少年車から窓から身を乗り出していたのを見たという点については、少年車の写真や少年・Aらの証言によれば、少年車の後窓は開かない仕組みになっていることが認められることからすると、少年車の後窓からBが身を乗り出すことは不可能であり、Bの供述調書においても同人が少年車の窓から身を乗り出したことは述べておらず、証言においては当時Bは足を骨折していたため少年車の後部座席に静かに乗っていたと述べたうえ、その点を明確に否定しているうえ、他の共犯者の証言・供述調書からもそのような事実は全くでてこない。またDが国道××号線の×○を走行中、少年車と出会ったという点についても、少年の審判における供述・供述調書、Aの証言によると、少年車が同所を走行していないことが明らかである。さらに、当時は夜間でありDが振り向いたとしても、後方からライトを付けながら進行して来る少年車の運転者や助手席の人物をはっきり現認することは困難であると考えられる(ちなみに、Eも同趣旨の供述をしており、Hも調査官にその旨陳述している。)。C逮捕後に「少年車が参加していなかったことにする話しをした」という点についても、共犯者仲間で同様の供述をするものはいない。以上によれば、Dの供述調書の内容の信用性は乏しいというべきである。
これに対して証言内容には不自然不合理な点はなく、体験供述性が豊かに認められるうえ、Dの単車が甲か乙の交差点で少年車を追い越したかどうかはっきりしないと供述している点は、Aの「Dの単車に追い越された、そのときDに帰るぞと声をかけた」旨の供述と合致していないのであるが、そのことは却って、DはAと口裏合わせをしていないことを示している。そうすると、Dの証言の信用性は高いというべきである。
なお、Dは逮捕された当初は、Aが運転していたと供述していたことがその供述調書の内容からも窺われるのであって、Dは当初真実を述べていたが受け入れてもらえなかったため、取調官に迎合して虚偽の供述をしたものと推認するのが相当である。
<3> Dの単車に同乗していたEの供述について
取調官に対する供述調書の内容は、暴走当日は暴走前に△○の市営住宅の公園で、E、D、B、Hらがビール、酒を飲んでDの誕生祝いをして暴走が始まるのを待っていた、その後集合場所の○△ボールに行くと少年、Cらがおり、Eは少年の運転する少年車にD、Hと乗り、他の者は歩いて市営住宅の駐輪場まで行った、そして少年車のトランクから特攻服をとり出し着替え、Cの号令で暴走に出発した、少年車もすぐ後ろからついて来たが少年が運転していたことは間違いない。その後戌交差点で前に出たとき渋滞車両の中程先頭付近を、少年の運転する少年車と白色の軽四輪車が並ぶように走っていた。甲交差点付近から少年車はすぐ近くを追尾して来た,その後パトカーが現れたのでEの乗った単車は丁交差点で転回して集団の隊形を崩して逃げた、その後少年車に迎えにきてもらったが、少年は「転回して逃げた後追い付くことができず、○△ボウルに引っ返した」といっていた、というものである。
これに対して審判における証言の内容は、まず、集合場所は市営住宅であり、○△ボウルには行っていない、集まる前にDの誕生祝いはしていない、そのように供述調書になっているのは、事件後Cが逮捕された後に、Bら2、3人と、「誕生祝いで酒を飲んでいて暴走のことは覚えていないことにしよう」という話が出たからである、○△ボウルから市営住宅まで少年の運転する少年車に乗ったことはない、取調べのとき思い出せなかったので適当に嘘をついた、特攻服が少年車のトランクにあったというのは確かでなく、他の人の供述に合わせたのかもしれない、暴走に出発するとき、少年車を見たが誰が乗っていたか見ていない、警察では自分の乗った単車の後ろに少年が運転する少年車がついて来たと話したのは、推測で話しをしたものである、○△ボウルの近くで自分の乗った単車が少年車と並んだことがあり、そのとき運転していたDが少年車に話しかけているようであり、Aが少年車を運転していることは分かったが、助手席と後部座席は暗くて誰が乗っていたか分からなかった、そのほかの場所で少年車を見たことはない、夜間は暗いし振り返って乗用車を見てもそのライトがあるし、4、5メートルぐらい近くでないと運転手や助手席の人は分からない、少年車が暴走の仲間と思ったことはない、単に見に来ていると思った、丁交差点で単車は転回したがそこでは少年車を見ていない、○○から携帯電話で少年車に迎えに来てもらったが、そのとき自分は店内にいたので誰が運転して来たか分からない、取調べのとき「Aが運転していた」と述べると取調べが長くなると思い、早く終わりたかった、というものである。
そこで検討するに、供述調書の内容は、Aの供述に基づく弾劾を受けていないので根本的な弱点があるうえ、いろいろ疑問がある、まず、E、D、B、Hらがビール、酒を飲んでDの誕生祝いをしたという点は、他の共犯者の供述調書に全くでてこないし、肝心のDの供述にも出てこないことである、次に、集合場所は○△ボールでありそこに行くと少年、Cらがおり、Eは少年の運転する少年車にD、Hと乗り、他の者は歩いて市営住宅の駐車場まで行ったという点は、少年が少年車を運転していたという極めて重要な事実であるが、他の者の供述には全くでてこない。(もっとも、Hの調査官に対する陳述の中には曖昧な形で出てくるが、同人の供述調書には出てこない陳述であるうえ、調査官が何度も確認した結果陳述されたものであるが明確なものではなく、迎合的な陳述であることが疑われるとされている)。更に特攻服を少年車のトランクからとり出したという点も、Bの供述調書によると、同人がIと一緒に自分の家にまでその特攻服10着を取りに行ってもって来たというのであり、Bの右のような経験について記憶には誤りはないというべきである。更に、戌交差点付近で少年車を見たというが、少年やAの供述によれば、少年車は同所を走行していないことは明らかである。したがって供述調書の信用性は乏しいといわなければならない。
これに対して証言内容は、不自然不合理な点はないのみならず、体験供述性が豊かである。特に、少年車と一回並んだことがあり、そのときにAが運転しているのを見たという供述は、前記のAの同趣旨の証言と概ね一致しているのであって、証言内容の信用性は極めて高いというべきである。
<4> 他の単車を運転していたCの供述について
実況見分調書によると、当日の事前謀議の場所は△△住宅の駐輪場である。供述調書の内容は、Cは「六代目ア」の総長であること、本件の暴走時同人が単車を運転し、Hを同乗させていたこと、少年は5代目のメンバーであること、神戸少年鑑別所前をユーターンしたとき少年車の運転者は少年であったことを覚えている、助手席はJで、後部は覚えていない、乙交差点では少年車は単車集団のすぐ後方で一般車両の前方にいた、というものである。
なお、Cは本件違反の共犯者の中で一番始めに逮捕されたものであり、共犯者仲間の中では同人の供述調書が最初に作成されている。
審判における証言の内容は、自分はア6代目総長であり、Dはグループ員でなくフリーで、少年はグループ員でない、暴走のため集合した場所は市営△△住宅である、○△ボウルには集まっていない、Hを乗せて単車を運転して暴走に参加した、単車は全部で4台であった、集合場所では少年車は見ていない、乙交差点の手前で少年車を追い越したが、丁度そのときHから覆面パトカーがいるといわれてそちらに気を取られたため、少年車の運転者も同乗者も見ていない、そのとき以外に少年車は見ていない、少年車がついてきたかどうかは分からない、少年車を追い越したとき、少年車の前に2、3台の乗用車があったが、暴走しているようには見えなかった、なお、甲か乙の交差点で少年車とは別の○○のワゴン車を運転していた年上の者から「頑張れよ」と声をかけられたが、その車も普通の走り方をしていた、少年車を追い越した後、Dの単車ともう一台の単車に追い付いたが、覆面パトカーが追いかけて来たので、単車3台でパトカーが前に行けないように邪魔しながら丁交差点で転回した、自分の視力は0.2であり、夜間単車を運転しながら後ろを振り返って見ても乗用車の運転者等の顔など分からない、暴走後特攻服のままではまずいと考えて、少年に預けてあった携帯電話で少年車を呼んだところ、Aが運転し少年が助手席に同乗した少年車がきたので、私服の上に着ていた特攻服を脱いで預け、その後○△ボウルであったかどうかはっきりしないがA、少年、Dを含めて皆が集まり、暴走中の出来事の話しをしてから帰宅した。
警察で取調べを受けたとき、「少年車を鑑別所の近くで見たろう」といわれ見てないといったところ、勾留延長するとか親に会わせないといわれ仕方なく、「車は見たが運転者は分からない」と答えると、「G.S(少年)やろ」と何回もいわれ、知らないといったが「延長するぞ」といわれたので「G.Sと違うのかなあ」といった、助手席の者の名前も聞かれたが分からなかったので、遊び友達でその日は単車に乗っていないJの名前をいった、というものである。
そこで検討するに
供述調書の内容は、Aの供述に基づく弾劾を受けていない供述であることによる根本的な弱点があるうえ、Cが鑑別所付近で少年車を運転していた少年を見たという点は、仮にそれが事実であっても本件現場における目撃ではないうえ、そもそも同人の視力が極めて弱くしかも夜間であることからすると、その目撃の正確性は疑問であること、特に「J」が助手席にいたのを見たというのは同人のみであって、少年車にJが乗っていなかったことは関係証拠から明らかである。そうするとCが少年の運転を見たということも確かなものとはいえないことになり、また乙交差点において少年車が暴走する単車の近くにいたのを見たという点もその正確性に疑問が残るといわなければならない。
これに対して、証言内容は自然であり、体験供述性が豊かである。特に乙交差点より手前で少年車を追い越したことがあるという点は、Aの同趣旨の証言と概ね符合しているうえ、少年車を追い越したとき運転者も同乗者も見ていないという供述は、少年やAと口裏合わせはしていない自然な供述であるというべきである。また「J」の名前を出した経緯についての説明も納得できるものである。Cは本件違反について一番始めに逮捕されたため、少年車に乗っていた者について他の共犯者の供述がまったくない段階で供述したため、捜査官が助手席にいた人物について示唆することはできなかったものと推認される。
したがって、その証言の信用性は高く、供述調書の信用性は乏しいというべきである。
<5> C車に同乗していたHの供述調書の内容について
同人が△△住宅の駐輪場に集合すると、少年車が駐車していた、車の中は見ていないが、Aとはほとんど付き合いはないし、Dは無免許なので少年が来たのかなと思った(警察調書)。少年が運転しAを乗せていました(検察官調書)、後日にDと少年と話しをしていたとき、二人からどちらともなく、「少年も少年車に乗って参加していた」という話しが出て、「警察が来ても黙っていてくれ」と口止めされたというのであるが、右供述調書の内容は、Aの供述に基づく弾劾を受けていない点で根本的に弱点があるうえ、少年が運転していたという供述は単なる推測に基づくものであるか、時間、場所、運転状況について全く具体性のないものであって、少年が本件現場で運転して共同して暴走行為をしていた事実を認めるに足りない。また「少年も少年車に乗って参加していた」と聞いたという供述については、「参加」したという内容は具体的なものでなく、単に後について走ったということを意味するに過ぎないのかもしれず、一義的に「暴走行為を共同実行した」ということを意味するとはいえない。
なお、播磨少年院に収容されていたHの調査官に対する陳述があるところ、同陳述を事実認定の資料として使うことはできないが、同人の供述調書の信用性判断の資料としては利用できるので、その陳述内容について触れることにする。同陳述によると、当初「○△ボウル」に集まりそこで特攻服に着替え、そこから「少年の運転する少年車」にEと一緒に乗って市営住宅まで行ったと思う、という部分があり、この点は、前記Eの供述調書における同趣旨の供述に沿うものであるが、「多分そうだったと思う」という弱いものであるうえ、右の陳述は調査官が何回も確認したことに対するものであって、調査官も自己に迎合した陳述である可能性を否定できないという印象を受けているものであるし、またその陳述は、少年の運転する少年車に同乗したといいながら、Aの姿を見ていないというのであって不自然な内容である。したがって、しっかりした記憶に基づいた陳述であるとは認められない、次に同陳述によると、「暴走に出発するときは少年車を見ておらず、暴走中も少年車の記憶はない、後続の車はライトの光りもあり運転者は分からない」というのであるが、右陳述内容は合理的であり、DやEの証言とも符合している。そうすると、供述調書中の「少年が運転しAを乗せていました(検察官調書)」という供述の信用性は、この点からも乏しいというべきである。更に、同陳述によると、暴走終了後少年車が迎えに来たときの運転者は「少年であった」というのであるが、共犯者仲間やAの証言に反しているところ、右陳述にはそれらの証言の信用性を否定できるほどの確実性を見いだすことはできない。更に、同陳述によると、事後の話の内容は、「見つかったらどうしようか」というようなものであって、特に口裏合わせをしていないというのであることからすると、供述調書の「警察が来ても黙っていてくれ」旨の口裏合わせをしたという供述の信用性には疑問がある。
5 少年の供述について
(供述調書の供述について)
少年は逮捕当時(平成4年6月16日)本件違反事実を否認し、単車にDを乗せ、途中パチンコ店に寄ってから△○の市営住宅へ行った、そこにはCらがいて、暴走する話しはすでにできていた、少年は兄のAを呼び出してAが運転する少年車の助手席に乗り、Bが後部座席に乗り、単車の後について走り出し、途中単車とは離れたが、その後単車が接近して来たのでその後方を走ったが、最後は単車と離れ左折したと供述した。
ところが、同月19日には弁護人がついて面接していたのに同月21日に本件違反事実を自白した。そしてその際、逮捕されたときに否認したのは、本件の違反後に取得した普通免許が取消しになることを恐れたこと、Cが逮捕された後に、仲間に「少年車はたまたまついて来たことにせい、Aが運転していたことにせい」と指示していたので、仲間もその旨供述してくれるものと信じてきたこと、弁護士に当初「自分は運転していない」といった手前、すんなりと自白しにくかったこと、弁護士がついたので何とかなると思ったからであることの理由によるが、刑事から諭され、鑑別所に入った後輩のことを考えると、先輩として男らしくないと考えたため自白したのであると供述した。
そして、同月23日の実況見分のときには、暴走の当日はまず、「○△ボウル」の駐車場の自販機の傍ら(国道××号線のきわ)において、Cらの事前謀議(打ち合わせ)がなされ、少年もその近くで暴走の話しを聞いていた、それから暴走した単車が置いてあった△△住宅駐輪場に行き、Cらは特攻服に着替えて単車を運転して暴走に出発したが、そのときは少年はCらのいた場所からかなり離れた地点に停止していたAの車(少年車)のところにいた、甲交差点では少年車は暴走する単車の後方でかつ一般車の前方におり、付近にいた3台の乗用車の一番後ろの車とほぼ同位置にいた、丁交差点の直前においては、同交差点を転回して行く暴走集団の後方でかつ後続する一般車の前方にいた、と指示説明した。
その後も自自を維持し、同月26日家庭裁判所に送致され観護措置が執られた時点においても自白を維持していた。
その自白の内容は、少年は「五代目ア」のメンバーであったが、平成3年9月ころ18歳となってメンバーを卒業し、暴走気分は少し醒めていた、本件についてはDから単車を貸してほしいと頼まれていたことと当日Cから単車が足りないからもって来てくれと頼まれたので、一人で単車に乗って出かけ、パチンコをしてから△△住宅駐車場へ行き、単車を弟らアのメンバーに貸した、メンバーらはそこで単車を改造したので少年も手伝った、その後暴走の虫が騒ぎ出して、Aに「帰るから迎えに来て」と「うそ」をいって呼び出した、それから「○△ボウル」まで歩いて行くと全員が集合していて、Cが出発時間とか、特攻服を着ること等の指示をしていたのをCの構で聞いていた、それから再び市営住宅駐輪場に戻り、Bが特攻服をもって来てそれぞれが着替えた、そのとき出口付近に少年車が停めてあったのを見て、少年はAから「やめといた方がええで」と注意されたのに「運転はできるし、もうすぐ仮免なので練習しておきたい、なるようになるわ」といって運転席に乗りこんだ、それから右足骨折で松葉杖をついていたBが乗せてくださいというので乗せてやり、単車に追従した、走り方は無免許だから一般車両の流れに合わせて走り赤信号では停止した、途中停止して小便したり暴走する単車を見物したりした、その後単車集団が見えなくなったが××号線で合流できた、単車集団の後方に位置して走る四輪車の役割は単車をパトカーや「族狩」から守ることである、甲交差点から丁交差点までは、単車集団の後方を時速約10キロで走り、単車集団は丁交差点で転回したが少年は無免許が発覚することを恐れて左折して逃げて、○△ボウルに戻った、その後CやDから迎えに来てくれというので迎えに行き、Cらは少年車に乗せてあった私服に着替えた、その後○△ボウルで全員集合してから、単車で帰宅した、本件後Cについて本件が発覚したらしいことを知り、仲間に「免許がなくなるから少年車のことはいうな」と口止めし、その後DとHと話をしたときに、Hに「車はおったことにしてもいいけれど、運転していた者の顔は見ていないといえ、それがどうしてもだめなときは兄貴(A)が運転しとったといえ」といった。
(調査・審判における少年の陳述・供述内容)
少年はアの5代目総長であった、本件暴走のことは3日前に弟から聞いていた、当日Cから電話で「みんな走る、きてくれないか」といわれて(平成4・7・7調査官に対する陳述)、「単車を出してほしい」といわれて(4・7・16調査官に対する陳述、審判供述)一人で単車に乗って△△住宅の駐輪場に行ったらDがいた、自らマフラーを抜いて単車を貸した、DらはBか誰かがもってきた特攻服に着替えた、脱いだ服は後で少年車に乗せた、暴走するつもりはなく皆が暴走から戻るのを待つつもりでいたが、単車が走り出した後、Bと二人だけになったので帰ろうと思い、Aに電話して少年車で迎えに来てもらった、しかし単車について行く気持ちになった、その理由はDらの脱いだ服がなくなってはいけないと思い乗せたがそこでDらが戻って来るのを待っていても時間がかかること、Dは翌日の仕事があるので連れて帰ろうと考えたこと(その仕事はビルのPタイルの洗浄とワックスがけであり、少年、A、Dら5人で一日で仕上げなければならないものであった)、Dが暴走後に特攻服のまま単車で○○市の自宅まで帰るとなると、道を知らないので警察官に止められた場合逃げきれないことになるから連れて帰るのがよいと考えたことである、Bが一人残ってしまうので誘って乗せた、単車には普通の走り方でついて行った、運転したのはAで、自分は助手席に、Bは後部座席に乗った、自分は普通車の免許取得中で仮免許試験に1度落ちているので運転したいと思わなかった、少年車は後部席の窓が開くようには作られていないし、太めのタイヤとリアスポイラーを着け、真後ろと後部座席の横の窓にフイルムが張られており、Aは少年車を大切にしていた、○○近くまではDらの単車について行ったが、その後は単車とはぐれたり見つけたりしながら走り、××号線に出てから○×で見つけた、己交差点において、赤の信号待ちをしていると単車の暴走集団が通り過ぎ、DやCの単車もあった、庚交差点では軽四とワゴン車等4台が信号を無視して通過した、少年車は庚前と乙の交差点で信号待ちをした、丁付近で、「覆面パトカーが走っている」という声は聞いているが写真を撮られたことは知らなかった、単車が丁の交差点で転回したのは見ていない、その理由は白い旗のようなものをもって乗りこんで前を走る別の乗用車を見ていたからである、少年車は丁交差点では信号は青であったので信号待ちしていない、皆より先に○△ボウルに帰った、少年車は一般車と一緒に走り、無茶なついて行き方はしていないから暴走行為になるとは思わなかった、暴走後、Cからは携帯電話で迎えに来てくれと、Dからは私服をもってきてくれという連絡が入ったので出かけたが、Aが運転した、AとDは少年車で自宅に帰り、自分はひとり単車で帰宅した。
実況見分のときには「○△ボウル」で共謀をしたという指示説明をし、供述調書においてもその旨供述したが、「○△ボウル」は大通に面していて、服装を着替えていると人目につき易いしパトカーがよく通るから、そんなところで共謀することはしない。しかし警察官から、「調書が進まない」といわれて早く終わりたいので適当にいった、なぜ「○△ボウル」で共謀したと指示説明したのかというと、△○市営住宅駐輪場においては、少年は離れたところから共犯者仲間の集合を見ていたにすぎず、多数の共犯者もそのように供述をしていたらしく、警察官はその場所で少年が共謀に加わっていたことにすることはできないと考えたらしく、「共謀の場所はどこか」と追及するので、やむなく前記のような「うそ」の指示説明をした。
供述調書において、「暴走の虫が騒ぎ出した」と供述したことになっているのは、警察官から「そうだろう」といわれたので「そうかなあ」と答えたからであり、「運転したいと思った」となっているのは、「運転の練習もしたかったやろう」といわれたので「そうですわえ」と答えたからであり、「気分良く走っていた」となっているのは、「そうと違うか」といわれたので「ちょっと気分良く走れた」と答えたからであり、「無免許がばれるのが恐ろしいので左折して逃げた」となっているのは、「そうだろう」といわれ「それもあった」と答えたからであるが、事実ではない。
口裏合わせについては、(4・7・7調査官に対して)「車のことは黙っているように、分かってしまったときはAに述惑がかからないように少年が運転していたことにせい」といったように思う、そしてその結果DとBが「少年が運転していた」と供述した。(4・7・16調査官に対して)「車のことは聞かれたら黙っておけ、自首するならせい」といい、その他のことはいってない、Hには「暴走のことは聞かれても知らんことにしよう」といった、「運転はAにしとけ」と指示したことはなくそれは警察が勝手に書いたものである。(審判では)「僕は関係無いから知らんといっとくようにいった」、Hには、僕自身何もしていないし関係が無いので、「大丈夫だろう」と話をした。
自白をし、それを維持した理由については、(4・6・23弁護人に対して)「警察は全く信用してくれない、否認しているといつまでもここにおらされ更に勾留される、鑑別所に行った方がましだ、警察が変な罪(Aが中身を知らないでアの戦闘服の入ったバッグを知人に預けたことについて)をつけるといっている、自分が運転していたといえば円く納まる、Bも自分もアのメンバ一なので逃げられない」、(4・6・25弁護人に対して)「今から否認するとややこしくなる」、(4・6・30附添人に対して)「自分が運転していたことでよい、留置場で一緒だった少年が保護観察で済むからと、めんどうくさい」(4・7・7調査官に対して)「否認するとHをかくまったことなどで家宅捜索をするといわれたので特攻服を預っていたこともあるし、親に迷惑がかかるので自白した。(第1回審判で)「警察官から証拠隠滅で家を捜索するといわれ家の人に迷惑がかかると思い,自分が運転していたといえば円く納まると思ったからである、当時はなげやりになっていた」と、(第2回審判で)「特攻服をAの友達に預けたのが証拠隠滅、身を隠したHを家に泊めたのが犯人隠避だから家宅捜索するといわれ、暴走以外に2つの罪がつくと少年院に送られると考えたが、留置場の同房者から暴走だけなら鑑別所だけで出られる、保護観察だ、といわれたので暴走を自白した方が得だと思い、6月21日に自白した。
(そこで検討してみるに)
少年は当初否認していたが、弁護人が選任された後に自白し、捜査段階及び家庭裁判所に送致された当初も自白を維持したのであるから一見自白の信用性は高いように見える。
しかしながら、右自白は、兄Aが「自分が運転していた」と申告した事実を踏まえて、少年が本当に運転していたのかという反問をされたうえでの自白でない点で根本的な弱さがある。特に当初否認し、兄が運転していた旨主張していたのであるからなおさらのことである。もし右の反問がなされていれば、当初Aが運転していたと主張していた少年が自白をし、あるいは自白を維持したか疑問である。
次に、少年が「○△ボウル」で、Cが暴走について指示していたのを傍らで聞いていたという自白及び実況見分調書の指示説明の内容については、共犯者の供述に全く出てこないうえ、右供述等がなされたことについての審判における前記の説明は合理的であり、自白と実況見分調書の指示説明は虚偽のものであるというべきである。
更に、少年は、その自白調書によってもすでに暴走族から引退していて暴走気分は醒めていたというのであり、途中パチンコをしてゆっくりとDらのいるところまで行ったこと、わざわざ自分の単車で行ったのに他人に貸していること、普通免許取得中であったこと、暴走の共謀がはっきりとなされた形跡はないこと(前記の、○△ボウルでCが暴走の指示をするのを傍らで聞いていた旨の供述しかなく、それも虚偽である)からすると、少年が無免許運転までして暴走に参加する動機は極めて弱いというべきである。
したがって、Aの乗用車を見たときに暴走する気持ちになって暴走した旨の自白は極めて不自然である。
第4に、少年車は兄Aの所有であり、兄は少年に頼まれて少年車を運転して少年を迎えにきて少年の傍らにいたのであり、同人は非行歴のないまじめな成人であることからすると、少年が無免許運転をして暴走に参加することを簡単に許すとは考えにくい。自己も暴走行為の共犯者になるうえ無免許運転幇助にもなってしまうのである。仮に少年が暴走することを許すとしても相当の述いが見られる筈で、少年とその点に関するやり取りが相当なされていなければならない。しかるに自白にはそれらの点について何ら触れられていないのであって不自然である。
第5に、少年車の走行方法は、自白調書によっても、信号にしたがい、一般車と同様に走り、途中単車にはぐれたり、再度ついていったりし、本件の現場通過後の丁交差点においても、転回する単車にはついて行っていないのであり、全体的に見ると常に単車集団と行動をともにしているとはいえないから、走行の態様の面からしても、少年車に暴走の意思を認めるのは困難である。
第6に、少年の運転技術は、当時仮免許を受けるまでにいたっておらず、路上走行の経験がないうえ、教習台帳によっても教程のやり直しをしていて未だ十分であるとはいえないことが窺われるのに、運転について困難を感じたとか、慣れていないことによる失敗等についても言及はなく、走行は極めて円滑になされているような雰囲気の自白であって、極めて不自然である。
第7に、当初否認していた理由として、「取調べを受けたときには、兄Aの名前を出す」旨の口裏合わせがなされていたからである旨の自白については、これを裏付ける仲間の供述は全くない。もし右のような口裏合わせがなされたのであるならば、Aの名前を出す理由が皆に明らかにされているはずであるし、そのことは仲間の記憶に残るはずである。またAの名前を出すことによって、Aが責任を負うことになれば、無実であるのに刑罰を受けるほか免許取り消しにもなる危険があるから、兄弟の関係が破壊されることは明らかである。したがって、右の口裏合わせについての自白は虚偽であるというべきであり、ひいては否認から自白に転じたその自白の信用性も乏しいというべきである。
そうすると、自白調書には疑問点が多いから、結局少年が無免許で少年車を運転して暴走に参加した旨の自白の信用性は乏しいというべきである。
これに対して審判供述中の、少年は運転しておらず暴走にも参加していないという点は、その内容には不自然さはなく、AやBらの証言にもおのずから符合していて体験供述性が豊かであるうえ、少年はすでに暴走族を引退していたこと、当日暴走族の集合場所に出かけた経緯、少年が運転免許取得のため勉強中であり運転技術は仮免許前であったこと、Aが少年車を大切にしていたこと、兄が傍らにいたこと、兄はまじめな成人であること、単車集団追尾の際の走行の仕方は信号を守り穏やかなものであったこと等の状況にも合致しているから、その信用性は高いというべきである。
ところで審判における供述についても、全く疑問点がないわけではなく、たとえば、Dを連れて帰りたいという気持ちであったというが、Dに帰ろうという働きかけをした形跡はないうえ、暴走が終了するまで出発点で待っていてもよかったのでないかという点である。しかし少年やAのいうように、Dが戻って来るのを漫然と待つことをしないで、少年とAがドライブかたがたDの単車の後について行って、Dの行動を大体把握しながら待つということも十分考えられるから必ずしも不合理な供述であるということはできない。
なお、前記のとおり、口裏合わせの内容等についての供述には一部変遷があり、その内容自体にも不自然な点があり、仲間の供述とも一致していないこと、また虚偽の自白をし、弁護人・附添人から真実を述べるように説得されたのに自白を維持した理由についての少年の説明は、当初から一貫したものでなく、いわば供述を小出しにして最後になってまとまった姿にしていること、鑑別結果通知書によると、鑑別技官に対して「自白した理由」について明確な応答ができなかったことも窺われることからすると、少年の供述態度には強い不審が感じられ、供述内容に作為が疑われないでもなかったのであり、少年の否認が真実であるかどうかについては結論を出すのは容易でなく、そのため身柄の収容が長引いたことを指摘しておくことにする。
6 以上検討したところによれば、容観的証拠のみによっては本件違反事実を認めることができず、少年の違反事実を認める方向にある共犯者の供述調書もその信用性がいずれも十分でないから採用できず、更に自白調書の信用性も乏しいから、結局本件違反事実を認めることはできない。
第3以上の次第であるので、少年法23条2項を適用して、主文とおり決定する。
(裁判官 加島義正)